量子力学について初めて知った時、眠れなくなった。
新しい知識への好奇心、科学の進歩に感じた興奮だけが原因ではない。
なんだかとても怖くなった。
量子テレポーテーション、シュレディンガーの猫、二重スリット実験、、、
「これは人間が知って良いことなんだろうか」という、見てはいけないものを見てしまったような、罪悪感にも似た気持ちを抱いたことを覚えている。

特に印象的だったのが、「観測者効果」だった。
「観測する」という行為の有無によって、同じ実験を行った時に結果が変化するという現象である。
観測しているのは誰?
「観測されている」と認識しているのは誰?
僕も何かの観測者なの?
僕も誰かに観測されているの?
誰かが僕を観測しているから、僕は僕自身なの?
その誰かが観測を辞めたら、僕は僕でなくなるの?
考えれば考える程に自分という存在が曖昧なものに感じられて、突然別の誰かになってしまいそうで、自分が自分じゃなくなったことにすら誰も気付かないんじゃないかと思って、恐ろしくて眠れなかった。

だから、自分も観測者になろうと思った。
誰かが見た時に「これは何の写真なのかわからない」って思っても、僕が「これは○○の写真なんだ」と認識していれば、それはそこに存在する。
そしてそれは、自分が自分であるということを自分が観測するための、道標になるのかもれしれない。